アメリカ横断を野宿でしてたら一緒に来た友人が急遽帰った話
こんにちは現役大学生(@Im_Univ_Student)です!
私の他の記事を読んでくれた方はわかるかと思いますが、私はアメリカ横断を野宿でしたことがあります。
読んでない方はこちらもどうぞ。
話を戻しますが、そのアメリカ横断中に一緒だった友人が急に帰ると言って本当に帰ってしまいました。
いやもう、焦ったのなんの。
今日はその時のことについて記事にしてみました。
それではどうぞ!
寒い
人生初の長期フライトを終え、ついに着いたアメリカ合衆国。
しかし宿は取っていない。
理由は宿を取る分のお金は持って来ていないし、そんな予算もなかったから。
空港を出てベニスビーチを目指す。
しばらくスケーボー乗ったり歩いたりして疲れたので、夜も遅いし寝ることにした。
そこで第一のトラブル発生。
アメリカの夜クッッッソ寒い
本当に夏なの今ってくらいに寒い。
アメリカ旅についていくつか記事書いたけど、そこでもアメリカは寒いってこと書いてますね(笑)
どれくらい寒いかというと、下はインナー+長ズボンで上は半袖にパーカー着てその上からウィンドブレーカーという夏とはかけ離れた格好で寝袋に入っていても寒いです。
それと色々な要因があわさってとても寝られるという状況じゃありませんでした。
- 橋の下だったので車が通るとうるさい
- 野ネズミが大量にいてチューチューうるさい
- 初めての海外でシンプルに野宿が怖い
- 寒い
これらのせいで初めてのアメリカの夜はまともに寝られませんでした。
てか来る途中の長期フライトでほとんど寝てたせいもある(笑)
そんなこんなで1つ目のトラブルとしてはアメリカの夜が寒すぎるってことです!
怖い
アメリカは銃社会なので、謎の偏見によりすごい恐怖心を抱いていました。
なんかあったらすぐ殺されるんじゃないか、こんなところで野宿しているのを見つかったら不審者扱いで射殺されそう。
そんなこと思って初日の夜を過ごしていました。
寒い中橋の下で寝ようと頑張ってうとうとしていると偶に目の前を自転車のツーリング集団が通ったり、真夜中なのに犬の散歩している人が通ったり。
通るたびに緊張で研ぎ澄まされた神経が反応して目が覚めていました。
ちなみにアメリカにいた時、警察のサイレン音を聞かなかった日はほとんどありませんでした。
どんだけ毎日何かしらの事件起きてるのよ...そう最初の頃は警察のサイレンを聞くたび思っていました。
まああまりサイレン聞かないのは日本が平和すぎるってこともあると思うけど。
とにかく最初の日は警察のサイレン音も余計に怖く感じさせられました。
暑い
寒い・怖いときて次は暑いです。
元々事前に調べて暑いとか寒いとかはわかっていたんだけどもやはり寒いものは寒いし、暑いものは暑い。
日本の暑さのように湿度が高くじめっとした暑さではなく、アメリカは湿度が低くカラッとした暑さです。
日本ほど汗はかかないけどもなによりツラいのが日差しの強さ。
アメリカの日中は本当に私たちの皮膚を焼いて来ます。
さらには唇までも焼いて来るので口はガサガサになるしで最悪です。
熱中症にならないためにもこまめに水分補給するのは意識した方がいいです。
捕まらない
アメリカに着いて数日。
次の街へ移動しょうとヒッチハイクを開始するも、車が全く捕まらない。
1時間やるも全く手応えなし。
1時間程度でめげてもしかたないと思いさらにもう1時間頑張る。
しかし一向に止まってくれる気配もないし、お昼に近づくにつれてどんどん暑さは増してくる。
あー、ヒッチハイクでの移動なんて無理だ。
このまま全然捕まらないようじゃ帰国日に間に合わない。
そんなこと考えながら3時間、4時間と過ぎて行きました。
おそらく二人でヒッチハイクをしていたので一人でヒッチしているよりも乗せるハードルが高いのだと思う。
アメリカでは過去にヒッチハイカーを装っての殺しや強盗があったそうです。
のちに一人になってからは開始して30分以内。
時には街で降ろして貰った瞬間近くにいたドライバーに乗せてもらったこともあります。
とにかく初ヒッチは全くと言っていいほど手応えがなく捕まりませんでした。
不満爆発
はい見出しの通りです。
寒い・怖い・暑い・捕まらない。
これらのトラブルが積もり積もって友人は急に、帰ろうかなと言い始めました。
ハードななか無理に着いて来させるのも悪いし、かといって自分も一緒に帰る気はなかったので断念するという選択肢は私の中にはありませんでした。
一度ヒッチを中断し、緊急会議。
一時間以上悩んだ結果、友人は先にゴール地へ飛行機で行って短期語学留学をして待っているということになった。
そしてとりあえずその日はヒッチハイクを中止。
炎天下のなかの会議で身体中日焼けで痛かったので、とにかく涼める場所へ移動。
結果、急遽の留学は不可能だし、帰るのも二人でじゃないとダメと親に言われ帰るのを断念。
そこで再び緊急会議。
涼しい場所にしばらく居たためか体調も良くなり、開き直った友人は「やっぱり着いていくよ、余計な時間取らせて悪かった。」
私はそれに対して「これだけハードな旅だし仕方ないよ。だけど決めたからにはもうグダグダ悩まないようにね。」
そう言ったのを覚えて居ます。
決して私が怒っている訳ではなかったです。
こんな感じでまた1日潰すようなことをしたくなかったからです。
とこんな感じで不満爆発がありました。
アメリカに着いてからまだ4日目の出来事でした。
そしてぼっちへ
帰る騒動の2日後の夜に第2回不満爆発が起きた。
その日は雨が降り、アメリカの夜は非常に冷え込んでいました。
寒くて全然寝られないし、横にもなれないほど小さなベンチは濡れてて冷たい。
すぐ近くの公衆トイレは荒れ放題で治安も悪そう。
そんな悪い環境で野宿をしていると、隣で通話をしている友人から「もう無理やばい、帰りたい」と言っている声が聞こえてくる。
通話が終わると「やっぱり帰ろうか迷ってきた」という。
翌日の予定であるグランドキャニオンへはせめて一緒に行って、その帰りまでにどうするか決めるということで話は終わった。
そして次の日、友人は帰るということが決まって鉄道へチケットの確認をしに行った。
その間私はマクドナルドで待っていたが、走って帰ってきた彼はこう言う。
「 あと30分後の列車でロスに向かってそこから帰る」
「一応チケット二人分取れるらしいけどどうする」
あと30分と時間が無いためか慌てている様子。
しかしそれを聞いた私は「?」状態だった。
いや30分後って早すぎるし(笑)
というか何があっても俺は帰る気ないし
と思ったけど言葉には出さなかった。
「分かったよ、気をつけて。」
とだけ言って見送りに行った。
そして私はついにぼっちになった。
さいごに
そんなこんなで色々なトラブルが重なって不満を爆発させて友人は帰ってしまった。
結果ひとりぼっちのアメリカ横断旅が始まるのでした。
ぼっち効果なのかは分かりませんが、ぼっちになってからはヒッチは上手くいくわご飯をご馳走して貰うわで色々と助けてもらいました。
あの時のアメリカ人にほんと感謝です。
時には、「これでご飯でも食べな。」と言ってお金を頂くこともありました。
そうしてなんとか私は無事ニューヨークに着いて帰ってくることができました。
以上アメリカ横断を野宿でしてたら一緒に来た友人が急遽帰った話でした。